《着物リサイクル春夏秋冬》第215回 「日本人に着物の素晴らしさ知ってほしい」 あきのろーざさんに深い感銘

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《着物リサイクル春夏秋冬》第215回 「日本人に着物の素晴らしさ知ってほしい」 あきのろーざさんに深い感銘

2018年08月08日

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中古着物を販売するたんす屋社長の中村健一氏が、自社の取り組みなどから中古着物業界について切る、本紙連載企画「着物春夏秋冬」。

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東京山喜 (店名・たんす屋) 中村 健一 社長

1954年9月京都生まれ。77年 カリフォルニア州立大学ロングビーチ校留学、79年 慶応義塾大学卒業。同年東京山喜入社、87年 取締役京都支店長、91年 常務、93年 社長に就任、今に至る。

あきのや きもの処


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▲オーナーのろーざさん。地毛で結った本格的な日本髪が目を引く

オーナーにより店名も変更

6月にたんす屋恵比寿店が「あきのや きもの処」に名称変更した。
理由は"あきのろーざ"さんと言う着物好きの女性がオーナーになったためである。
たんす屋の名称が変わることは珍しいことではなく、中目黒店も「着物中や 」に変更したところだ。
7月1日からオーナーに就任した原麻由子さんの希望で看板を変えたのである。
私が目指すたんす屋は、全店がその商圏・立地・店長(FCの場合はオーナー)の個性でオンリーワンのショップを創り上げることである。
同じ着物屋が日本中に100店舗も200店舗もあることは魅力ではなく、逆に弱みではないだろうか。
それは着物という商材が、一般のコモディティではなく強烈な付加価値商材だからだと思う。
ユニクロと違って、着物屋にはオンリーワンショップの方が魅力的だと思う。

本格日本髪に刺繍帯の着物姿

さて、ろーざさんはどの様な方かと言うと、東ヨーロッパ生まれ、アメリカ育ちの若い女性である。
出身地は旧ソ連のジョージアだそうだ。大相撲の先場所で幕内優勝を果たした大関栃ノ心の出身地が同じジョージアということで、少し日本人にも知られるようになったが、我々には馴染みの薄いくにである。2015年までは、グルジアと呼ばれていた。黒海の東に位置した北にロシア、南にトルコ、アルメニア、アゼルバイジャンに囲まれ、東ヨーロッパもしくは、西アジアに区分されるようである。
ろーざさんが6歳の時に家族でアメリカへ移民し、カリフォルニア州サンノゼに住み、大学はロサンゼルスのUCLAに進学された。生まれた時はロシア語が母国語だったわけだが、その後はアメリカで育ち、当然ネイティブな英語を話され、現在はNHKのラジオ英会話の先生をされている。
そんなろーざさんに初めてお会いしたのは、実は山手線の車内であった。駅のホームでとても素敵な刺繍のヴィンテージの帯をされているのが目に飛び込んだ。
職業柄思わず見入ってしまい、視線を着物から頭に移すと、なんと本格的な日本髪だった。
それもどう見ても地毛で結った日本髪である。小柄な女性だったが、こちらを向かれると顔立ちは ヨーロッパ系の美人である。更に、目が点になっている私に軽い会釈をされた様に見えた。
そこで勇気を振り絞って、素敵なお着物ですね、とお声かけしたのである。実はろーざさんは、たんす屋恵比寿店のお客様でたんす屋の東京交通会館での本部催事にも来場されたことがあり、着物姿の私を見てたんす屋の社長だと思ったそうです。
そこからすっかり話が弾み、ろーざさんの生い立ちをお聞きすることになった。

茶の湯から着物文化にすっぽり

ハワイ大学で、日本の茶の湯に出会ったそうだ。それがご縁で、京都の裏千家に1年間留学された。
そこでろーざさんの心に、日本文化と着物文化がすっぽりと入り込んだようだ。
その後はUCLAに編入し、卒業されたそうである。
旧ソ連のジョージアで生まれ、アメリカ西海岸で育ったろーざさんは、グルジアの文化もアメリカの文化も自分の中でしっくりこないものがあり、自分は何人なのだろう?と感じていた。
そんな中、京都で出会った茶の湯と着物文化が一番しっくりきたようである。
大銀杏が一番似合う白人力士栃ノ心であるが、ろーざさんは、長い自分の黒髪を自分で日本髪に結われるとお聞きして驚いた。
そのろーざさんに、夢はなんですか?とお聞きしたら、着物屋をしたいと言うことであった。
これには私も二度驚いた。
なぜろーざさんは着物屋をしたいのか、その理由を聞くと、日本人に着物の素晴らしさを知ってもらいたいと言うことで、着物屋の私は驚きを超えて深く感銘を受けた。
「日本人には、日本が足りない」誰かが言った言葉か忘れたが、間違いなく外国人からの強烈なメッセージだ。
私達日本人は、往々にして外国人から日本文 化の素晴らしさに気づかされる。
アメリカの美術蒐集家ジョー・ プライスがいなかったら、伊藤若冲の名画の数々は歴史の中に埋もれたままだっただろう。
日本文化発信型着物屋を目指す私としたら、
ろーざさんは最高のメッセンジャーだと感じた。
着物屋の私が、着物の素晴らしさをいくら語っても、残念ながらその効果は非常に限定的である。
しかし、ろーざさんが自分の言葉で本当に自分が感じた日本文化と着物文化の素晴らしさを語った時、その効果は絶大な影響力を発揮してくれると思う。
そうは言っても、外国人が日本で着物屋を運営することには、多くの難儀があると思う。しかし、ろーざさんならばそれを必ず乗り越えて成功してくれると確信している。
私は本部として、しっかりろーざさんを影からバックアップすることで恵比寿から一人でも多くの方に着物ある生活を感動を持ってご提供したいと心から願っているが、いかがだろうか。

第444号(2018/07/25発行)18面

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