骨董買取の技法 第13回
名品は数百万円を超えるものも・・・
都内の高級住宅地にあるひと昔前のお宅に伺うと、民芸運動を意識しているなというインテリアに出会うことがあります。そういう家では、筋の良い品物に出会えることが多いんです。民芸運動とは「普通の職人が造った道具に、用の美を見出す」といった運動で、柳宗悦により提唱されました。柳宗悦は、東大をでた後白樺派文学の運動を推進し、その後民芸運動に辿りつきました。そして河井寛次郎、浜田庄司らとともに運動を推し進めることになります。また棟方志向や黒田辰秋、外国人ではバーナードリーチなども民芸運動と関係の深い作家です。今回は彼らの作品についてお話します。
彼らは、日本陶芸史に残る巨匠であります。ところが彼らの作品は「普通の陶工」ということで、銘がほとんどありません。本人たちは「用の美」を謳うものの、その経済的価値は無名な陶工とかけ離れたものとなりました。(特に河井寛次郎の名品は数百万円を超えます。) 「経済的な価値が高い」「印や銘がない」ということで、当然贋物が生まれてくることになります。ヤフオク!などで安く落札されている物のほとんどが贋物です。
真作の浜田庄司の箱書き
河井寛次郎
河井寛次郎については、普通のお宅にあることはまず稀です。高島屋などでの個展が多いため、例外なく富裕層のお宅にしかありません。ですから、出会う確率は低いと思われますが出会ったら...彼の作品は、他の作家にはない「品」があります。その特徴を本物や図録で見て感じるしかないのです。寛次郎は、今の東工大を卒業した研究者です。僕は、作品の完成度が最も高い陶芸家の一人だと思います。しかし、そんな観念的な感覚を憶えている暇のない方は、京都の河井寛次郎記念館が鑑定をしているので、相談してください。
寛次郎の作品も他の作家同様、本人の署名した共箱にはいります。しかし箱が失われた作品や、本人から譲り受けた物などで箱がもともとない作品は、河井寛次郎記念館の鑑定箱に入っているものがあります。「河井つね」「河井紅葩」「河井敏孝」のいずれかの名前の識箱(鑑定箱)になります。
浜田庄司
寛次郎は京都で作陶していましたが、浜田庄司は栃木の益子で作陶していました。寛次郎の作品にくらべ、浜田庄司の作品はかなりの数が流通しています。寛次郎の作品は鑑賞用の作品が多いのに対し、浜田は湯呑・皿・鉢・急須・土瓶など普段使いの食器が多いです。元々益子では、それらの食器が無名の陶工たちによって造られていたからだと思います。
浜田庄司の贋作は、酒器や壺、皿など多岐にわたります。浜田の作品は、寛次郎の作品のような「品」はありません。しかし浜田の作品には、おおらかさとか優しさがあるような気がします。その雰囲気を感じてください。加えて、箱の「庄」の印と高台回りに注意してください。ネットでいくらでも画像が拾えるのでそれをスマホに保存しておき、印が少しでも違っていたり、高台の感じが違っている場合は買い取るのを辞めたほうがいいかと思います。
藤生 洋
<プロフィール>
昭和42年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、ロッテの財務部で勤務。サラリーマン時代から骨董市に通う。歴史好きが高じて平成11年、31歳で起業。ネットオークションや骨董市で骨董品の販売をはじめる。平成13年には「(有)北山美術」に改称。平成24年には骨董の業者間オークション「弥生会」を3社共同で立ち上げ、会員数200社の規模に拡大する。現在は店舗と事務所を東京・千葉・札幌に展開している。骨董店での修行無しに独自に事業を軌道に乗せた手腕が話題になり、 2冊の著書を上梓。
397号(2016/08/10発行)7面