骨董買取の技法 第21回
あるお宅を訪問すると、まだ20代の女性から「これは祖父から受け継いだ家宝だから、大事にしろ」といぶかしげな目線で言われました。今時「家宝」という言葉を耳にできたこと、そしてうら若き乙女からそういう言葉が発せられたことがとても嬉しくなったことがあります。家宝とは文字通りそこのお宅に代々伝わり、子孫が大事にしている物のことを言います。
今の方はどう思っているのか分かりませんが、私たちの若い時分では「我が家の家宝」とは刀のことを言っていたような気がします。しかし、刀が我が家の家宝と言われだしたのは意外と日が浅く、明治時代に入ってからとも云われております。昔からであった訳ではなさそうです。だからと言って、江戸時代以前大名たちは名刀を家宝としていた話など数えきれない位あるわけですから、その萌芽は昔からあったと思いたいものです。
池田家・家宝の大包平
姫路城で有名な池田藩に、大包平と言われる名刀があります。平安末期の作で備前包平の大傑作なのですが、この刀を藩祖・池田輝政が買い求めたとき、さすがに藩の財政が傾いたといわれるほどであったと伝えられております。ですが、この名刀を売った人のことの歴史は曖昧にしています。この大包刀は昭和42年に国が買い上げるまで、池田家の家宝中の家宝でした。そのときの国の買い上げ価格が6500万円という破格の安さでした。今もし、この刀が売りに出されたら10億円は下らないでしょう。世界中から、オファーが殺到するものと思われます。歴史上の池田家を俯瞰する姫路城といい、この大包平といい、からりと晴れた晴天のような名家であったに相違なく、またそれを現代まで維持できたことに感銘を受けます。
話は違いますが、どの国の人にもこれは我が家の家宝だという誇りのような物があるはずです。お隣の国、韓国の我が家の家宝は皆さま何だと思いますか?「辞令書」だそうです。これは、知人が韓国の高官から聞いた話です。
「貴方をどこかの長官に任命する」というような辞令を持った家は、名家の証しとされているそうです。500年続いた李氏朝鮮は権力集中国家ですから、そこから任命された辞令は絶対で、長官に任命された家は清貧であっても三代は食べていけたと言われています。日本では刀が家宝だと云われているといったら、野蛮人扱いされたと話しておられました。このようにどの国にも自慢の物があるはずです。
こういう雑談のなかにお宝が発見されるわけで、人と最も繋がりを持つ私たちの仕事は案外と世の中の潤滑油となっているのかもしれません。
刀の事をもと種にして色々なことを書きましたが、機会がありましたら暇を見て、刀のよもやま話などをしたいと思います。
井ノ上弘揚
<プロフィール>
古美術などの買取・販売の「あすみ苑」代表。鹿児島県出身。40代半ばで骨董業界に入り、現在は書画を中心に事業展開をしている。刀剣の鑑定は20代の頃より行っており、約50年のキャリアの持ち主。千葉県千葉市内のあすみ苑内にはギャラリーがあり、2ヵ月に1度書画目録なども発行するなど精力的に活動している。
415号(2017/05/10発行)6面