千年質屋【第8回】清水屋(後編)、庶民金融から時計の小売に特化した店へ

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千年質屋【第8回】清水屋(後編)、庶民金融から時計の小売に特化した店へ

2023年11月10日

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千年質屋 清水屋

創業126年の清水屋(埼玉県さいたま市)は、戦後から1970年代までは生活費を融資する庶民金融、バブル崩壊まではブランド品の販売で繁盛し、現在は時計の小売に特化した店として差別化を図っています。

2代にわたり埼玉県質屋組合連合会の会長務める

地震と空襲の被害受けず
80年代まで千客万来状態

清水屋 創業126年の清水屋

清水屋 店舗には多数の希少な時計が展示販売されている店舗には多数の希少な時計が展示販売されている

清水屋は東京を拠点とする質屋と異なり、関東大震災と第二次世界大戦で甚大な被害を被ることがなかった。大宮は地盤が強固な大宮台地で占められており、地震の影響は軽微だった。また、戦争末期の4月には大宮にも空襲があり、東口商店街の一部が消失したが、「不思議なことに、庭にあったお稲荷さんの目前で火の手が止まった」(18代・清水俊男氏)。

第二次世界大戦で大きな被害を受けず、戦後、大宮駅が東京以北最大のターミナル駅になったことで、大宮駅周辺は県内最大の商業地となり、1990年代前半のバブル崩壊まで大宮の質屋は繁盛していた。

「私が25、26歳の時でも、昼ごはんを食べる暇がないほどお客さんが来て、『麺類は(伸びるから)食えないよね』とみんな言ってました。小口の生活費を借りる人が大半だったのですが、質草の量が今とは比較にならないくらい多かったのです」と俊男氏は語る。

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第571号(2023/11/10発行)20面

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