「千年質屋 第4回」は元禄2年創業、東京で最も長く営業を続けるフクシマ質店の後編をお届けします。同店の330年余の歴史のうち、大きな転換期となった関東大震災以降から現在まで、100年余りの足跡を辿ります。
先代は全質連・東質理事を8年務め業界に貢献
関東大震災で打撃 従業員も多数死亡
現在の店舗。質蔵は昭和初期の建造物で、地上3階、高さ10メートルを超す鉄筋コンクリート造りだが、瓦ぶきの古来の方法に似せた造りになっている。
1923(大正12年)に起こった関東大震災は、フクシマ質店の経営に大打撃を与えた。土蔵4棟、質店、居宅、質物の全てが焼失し、被害を免れたのは金庫2個のみ。この時、現社長の福島昌一氏の父、9代目福島弥兵衛氏は9歳だったが、家族と共に皇居前に逃げて助かった。だが従業員の多くは、近くの陸軍被服本廠跡地へ逃げ、火災旋風に襲われて命を落としている。
フクシマ質店が本格的に営業を再開したのは1925(大正14)年5月だった。震災後の復興に従い、売上は回復基調にあったものの、震災前の勢いが戻ることはなかった。理由は2つある。一つは中小質店の減少だ。同店は中小質店を子質とし、彼らに融資する親質として事業を拡大してきた。しかし、中小質店の数が震災後は8分の1に減少し、復興後も3分の2までしか戻らなかった。
二つ目の理由は公益質屋の登場だ。公益質屋はもともとヨーロッパで発達した制度だが、わが国でも政府の社会福祉事業の一環として導入された。まず、1912(大正元)年に宮崎県に最初の公益質屋が誕生。その後、1921年前後に東京の日暮里、下谷、本所、千住などに設立された。非営利の公益質屋は、一般の質屋よりも金利が低く、質流れまでの期間が長い。フクシマ質店の営業地域にも1935(昭和10)年の時点で公益質屋が12店でき、低所得のお客が減少した。
第560号(2023/05/25発行)21面