江戸時代後期に譜代の大名屋敷が多くあった北青山で創業し、二〇〇年以上も同地で営業を続ける吉川質店。初代は地域一帯の土地を持つ地主であり、大名などへ土地を貸す傍ら、質店を兼ねた両替商を営んでいたようです。
明治維新動乱期、両替商の没落で質業へシフト
初代久治朗は
青山地域の地主だった
寛永3年の江戸古地図。青山藩の菩提寺である梅窓院の近くに幕府の鉄砲隊「百人組」の部下たちが居住しており、初代はその「百人組同心 大縄池」に土地を貸していたとのこと
吉川商事(東京都港区)が運営する吉川質店は江戸時代の後期から200年余り営業を続けている。その特徴は質店が集中していた下町ではなく、大名屋敷が多かった北青山に店を構えていることだ。
「創業の年は正確にはわからないのですが、初代は久治朗と言って、江戸時代の後期、この地域一帯の地主とのこと。鉄砲隊百人組が住む土地を貸していたようです。その傍ら、両替商もやっていて、骨董品や茶碗、着物などを預かってお金を貸していたと聞いています」と語るのは、吉川家十代目の吉川元浩氏だ。
第564号(2023/07/25発行)23面