千年質屋【第7回】清水屋(前編)、明治維新を機に脇本陣から古着屋・質屋を開業

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「千年質屋」

千年質屋【第7回】清水屋(前編)、明治維新を機に脇本陣から古着屋・質屋を開業

2023年10月28日

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千年質屋 清水屋

創業126年の清水屋(埼玉県さいたま市)は江戸時代の脇本陣に端を発し、明治維新を機に古着屋に転じました。その後、1897年(明治30年)に質屋を開業。江戸時代から今日まで大宮の発展に貢献してきました。

代々の当主は利他の精神で大宮の発展に貢献

先祖は大宮の地主で
江戸時代は脇本陣経営

清水屋 清水家は江戸時代、大宮宿で脇本陣を経営していたが、 明治30年、15代専助が当主の時代に質屋を開業した(上右・脇本陣はイメージ写真)清水家は江戸時代、大宮宿で脇本陣を経営していたが、 明治30年、15代専助が当主の時代に質屋を開業した(上右・脇本陣はイメージ写真)

埼玉県さいたま市の大宮区はもともと武蔵一宮・氷川神社の門前町として賑わい、徳川家康によって中山道が整備されてからは宿場町・市場として栄えた場所だった。最盛期には本陣1軒、脇本陣9軒が置かれていた。脇本陣は、江戸時代の宿場に設置された江戸幕府公認の宿舎で、本陣の予備的な施設だった。大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に、格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に支障が生じた場合に利用されていた。

有限会社清水屋が運営する質店・清水屋の先祖は、その脇本陣を「山崎」という屋号で経営していた。山崎というのは親戚の名前だった。清水家は脇本陣のある場所以外にも大宮で複数の土地を所有していた。その後、明治維新で幕藩体制が崩壊したのを機に古着屋を始め、1897年(明治30年)、15代目の清水専助氏が47歳の時に質屋を開業した。

曽祖父・祖父は欲がなく
寺や学校に土地を寄付

「専助は私の曽祖父にあたります。しばらくは古着屋と質屋を並行してやっていたようです。当時、和服は質屋の大切な質草で、古着屋から質屋を始める人が多かったようです。専助は芸術家肌で、非常に信仰深い人でした。旧中山道沿いに所有していた土地の3分の1を菩提寺に寄付してしまったほどです」と語るのは現当主で18代目の清水俊男氏だ。

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第570号(2023/10/25発行)17面

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