千年質屋【第11回】(前編)須賀質店、初代は大正時代に最先端の広告宣伝で事業拡大

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千年質屋【第11回】(前編)須賀質店、初代は大正時代に最先端の広告宣伝で事業拡大

2024年12月15日

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千年質屋 須賀質店

今から105年前、大正8年に東京都品川区で創業した須賀質店は、才覚のあった初代が先進的な広告宣伝で成功し、都内2ヵ所に支店を出すまでに成長。戦後すぐに経営に参画した2代目は、消費者金融が台頭した1970年代以降、不動産管理に注力しつつ、60年間、質屋の運営を担い続けました。

二代目は消費者金融の台頭機に不動産業に注力

初代兼吉は農家の三男
義兄の援助で質屋開業

須賀質店 現在の五反田店入り口(左)と質屋営業許可の表示札。裏に「大正八年二月二日開業」とある現在の五反田店入り口(左)と質屋営業許可の表示札。
裏に「大正八年二月二日開業」とある

須賀質店は1919年(大正8年)、須賀兼吉によって東京都品川区五反田で創業した。ホームページや店の扉には大正9年と書かれているが、大崎警察署発行の表示札が発見され、正式には大正8年2月2日であることが判明した。五反田は大正時代に工場の建設が相次ぎ、大勢の工員が働いていたので、質屋の需要があると見込んだと思われる。

兼吉は1895年(明治28年)に東京都江戸川区南篠崎町の農家の三男として生まれた。実家は地主だったが、旧民法では長男が遺産のすべてを相続する家督相続制度があり、自分で身を立てる必要があった。才覚があった兼吉は、24歳で質屋を開業する道を選んだ。

「質屋はまとまった資金がないと出来ない商売です。祖父がなぜ質屋を選んだのかはわかりませんが、父から聞いたところによると、祖父の姉が富豪に嫁いでいて、そのご主人が『見どころがある』と出資してくれたそうです」と三代目の須賀兼一氏は語る。

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第597号(2024/12/10発行)17面

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